今年の夏は、まだ通過点。負けるわけにはいかない、ライバルだから。
今はまだ、この背には何も負えないけれど。
来年の夏、グラブを合わせて、グラウンドに散ろう。
それぞれの位置、それぞれのグラブを構えて。
たった一つの白球を追うために。
一番長く、同じ時を過ごす盟友と共に。






Catchers



「御幸」
「んあ?」
昼休みに入ってすぐ、久しぶりの、そんなことを言ったら倉持には心外だと罵られるだろうが、倉持以外の訪問者。
顔をあげれば小野がいた。

「コレ、副部長に頼まれた」
渡されたのは、礼ちゃんに見せてと頼んでおいた練習試合のスコア。
「あんがと」
とりあえず受け取ったスコアを横に置き、話に興じる。同じポジションの気安さもあって、小野とは割と話が進むほうだ。
が。
どうもさっきからソワソワしている気がするのだが、…気のせいだろうか?
まさか告白?いや〜俺困っちゃう、などとありもしない自作自演の予想に内心で笑っていたら。

「なぁ、御幸」
きた。
「ん〜?」
「沢村、どうだ?一軍でちゃんとやってけてるか?」
ここにも沢村の保護者がいた。
アイツは保護者だらけだな、と苦笑を噛み砕きつつ答える。その気持ちがわからないでもない自分もまあ、何だ。
「大丈夫だって」
親が思ってるより早く、子供は育つもんなんだって、どっかで聞いたし。っつーか一軍で新しい保護者ができてるしな。
「そうだよな、クリス先輩もついてるし」
大丈夫、の意味は違ったけど小野は安心したようだ。
沢村の保護者達からは、一概に不評な俺。っつーか保護者会代表がクリス先輩じゃあな、比べられる方が酷ってもんだ。
「そこは俺がいるからって言うとこだろ?」
「自分で言うなよ。でも、うん、お前も凄い奴だし」
てらいなく人を褒められるのは一種の才能かもしれないと、小野を見ていると思うようになる。いつだって素直な賞賛を口にできるのは、よっぽどのことだと。
「…すごいな、お前」
思わず呟いたのは、紛れもない本心だ。
「ん?何か言ったか?」
「なんでもない」
人当たりがよく、優しい男だ。本人は普通だと言うかもしれないが、少なくとも比較対象が自分ならまずそう言い切れる。
しかしその優しさが、野球でも長所になるかと言われたら、残念ながらそれはノーだ。
むしろ逆に、時として欠陥にもなることもある。
「ま、沢村が頑張ってるのはよくわかってるし。それより俺も頑張らないとな。お前、つまんないだろ?」
「へ?」
小野が頑張ることと、自分がつまらないことにどう関係があるというのか。
この男は天然だったかと、過去の会話を振り返る。
「だって、宮内先輩引退したらお前一人だもんな。ライバルくらいいないとつまんないだろ」
じゃあ俺、教室戻るから。と帰っていく坊主頭の後ろ姿。

前言撤回。
「・・・そうだな」
その優しさは、野球でも長所になるのかもしれない。
「早く上がってこいよ〜」
届けてくれたスコアを開くと、そこには既に誰かの研究の跡。
優しい男だ。今年のでたらめなルーキー達にも動じなかった、毎試合欠かさずスコアを読む、優しくて勤勉な。
一人はつまらないと言った、ライバルが欲しいだろと俺を気遣ったその優しさで。
早くここまで上がって来い。




一人は淋しくてつまらないと言うのなら、早く競わせてくれ。










Shortstops



次の時間は移動教室。
早く行っても暇なだけだと同じことを考えた連中だけがまだ教室に残り、真面目な生徒は早々に教科書を手に移動し始めている。
教室から出入りする人間が多い中では、他のクラスから入ってきた中田も目立ちはしなかった。
「倉持、借りてたゲーム返すんだな〜」
「随分早ぇな」
確かに貸してからは一ヶ月経っているが、その間の土日は全て練習試合が入っていたはずだ。
早いと驚いた俺に気を良くしたのか、中田は更に得意げに笑った。
「ランキングは全部塗り替えておいたんだな〜」
「ゲッ、マジかよ!」
かなり気合を入れて、高得点を出しておいたはずなのに。
「嘘ついても仕方ないんだな〜。それに、次はゲームじゃ済まないんだな〜」
妙に気の抜ける話し方。物騒なことを言い出す時には、それがオブラートの役目を果たしている。
何かを口にするたび敵を作る奴も世の中にはいるが、コイツはその対極に位置していた。
「ヒャハハ。ゲームも塗り替えとくぜ?」
際どいやり取りは同じポジションならではのことで、そのギリギリさを俺達は気に入っていた。少なくとも俺は大いに。

同じ背番号を背負っている。
違いは一軍であるか否か。それだけだ。
その違いがもっとも大きいのだとも、本人達が一番良くわかっているが。
「ケガに気をつけるんだな〜」
「俺が怪我したら、とか考えねぇの?」
もっとも、俺が怪我したときにグラウンドに立つのはコイツではないだろうが。
「そんなの全然嬉しくないし、馬鹿にしないで欲しいんだな〜。同じこと三年生の前で言ってみるんだな〜」
咎めるような視線が返ってきた。
軽口が過ぎた。
ケガのために、一体何人の先輩が涙を飲んできたことか。
つい最近とて、いたはずだ。
「…わり」
「倉持から謝られると気持ち悪いんだな〜。そんなこと言うくらいならレギュラー譲ってほしいんだな〜」
「さっきと言ってること違うじゃねぇか」
それとこれとは話が違うんだな〜、などととぼけて笑って見せる辺り、大概コイツも食えない奴だなと思う。食えない奴2年代表はもちろんあの眼鏡だが。アイツはもう、人外でいい。
「じゃあまた放課後なんだな〜」
「おう」

「倉持、お前余裕だな」
やり取りが聞こえてきたのだろう、聞いていたとは本人のために思わないでおいてやる、同じクラスの奴が話しかけてきた。
「何がだよ」
「だってアイツ同じポジションなんだろ?あ、二軍だからか?」
そんなことはない。彼が下手だなどと思ったことは一度たりとてない。
ただ、負けられないだけだ。
「気が合うんだよ。アイツもゲーム好きだし、…それに九分の一だしな」
「は?」
「わかんねーならいいよ」
別にお前に理解を求める義理はない。
そろそろ次の教室に行かなくては遅刻してしまう。部活動と学校の関係ってのはこんな時に厄介だ。

九つあるポジションの中から、お互いにたった一つ、自分の場所だと選んだポジションが一緒だったんだ。
気が合わないわけねぇだろう?




「ま、だからこそ負けられないんだけどな」
ニヤリと笑う。自分でもわかるくらい、俺はその事実を楽しんでいた。









Firstbaseman and Pitcher and Rightfielder



「ゾノ?まだやってんのか?」
寮ではそろそろ眠りに就く人間が増える頃。 まだバッドを振っていた前園を見つけたのは、これから風呂に行く様子の川上と白州。

バッドを構えていた手を止めると、途端汗が吹き出る。息も少し上がっている。こんな時、まだまだだと思う。思わされてしまう。
「部活の時間は一軍のサポートが多いからな。自分の練習時間は自分で確保せんと」
それは一軍昇格選手の発表以降、彼がいつも口にしている台詞だった。そしてその言葉通りに、毎日ギリギリまで練習していることは、一軍にいる川上や白州も知っていた。

「白州?」
風呂道具の一式を川上に押し付けるように預け、無言で消えた彼が無言で現れた。バッドを持っている手には程よく使い込まれた、バッティンググラブをまたつけている。
「俺もやる」
「お前は一軍やろうが」
例えばそれが本人にとって肯定的な理由であっても、周囲が止めたところで、止まるような人間はここにはいない。けれど止めずにはいられないのが人の性であり、それを人一倍持ち合わせているのが前園だった。
「固定メンバーじゃないんだ、大して変わらないさ」
「お前はないやろ?」
肩が強く、守備も堅実でミスが少ない。打撃の面でもそれなりに成績を残しているのなら。
「言い切れるか?ゾノ。春の大会の後の増子先輩を見てても、そう言い切れるか?」
絶対という言葉ほど、揺らぎやすく、遠く感じるものはなく。
「三年でレギュラー定着してて、クリンナップ打ってる人が交代させられたんだ」
「本当に無いって、言い切れるか?」
「わからん」
そんなことはない、と。お前ならずっとレギュラーでいられるだろうと、口先だけで言うのは簡単だ。今すぐこの場で、何の責任も覚悟も持たずにできてしまうことだ。
けれど、それは違うのだ。
「あの大会で増子先輩はエラーをして、レギュラーから外された。お前は今んところエラーはしてへん。そやけどエラーの有る無しだけでお前が外されんとはよう言えんし、外されるとも言えん」
ありもしない、事実のような下手な嘘をつくよりも、厳しくとも現実を口にしなければいけない。
言葉一つでは変わりようのない、この現実の下で生きているのだから。
「ただわかるんは、俺はまだ、お前らにも追いつけとらんゆうことだけや。それにな」
この夏、自分はグランドに立つことさえ、ユニフォームを手にすることさえ叶わなかった。
それは隠しようのない、歴然とした差だった。
「ユニフォームがもらえたところで、レギュラーになったところで、満足なんかしとれん」  
強い目の先に映っているのは、今、自分たちが見ている光景ではないだろう。きっと彼の目には、あの背中が映っているに違いない。
「ああ、あそこはどうやってった比べられちゃうからな…」
彼が望むポジションに、今立っている人間と。
「それはどこも同じやろ。それに代が替わった途端に、戦力ガタ落ちなんて言われるのはかなわんからな」
偉大な上級生を持つ苦労は、多分彼が一番良くわかっている。

 凄い人だと思っている。頼りになる人だと。
 慕っている、憧れている、頼りにしている。
 けれど、これからの自分はそれではいけないのだ。
 より強くならなければならないのだから。
 憧れにしてはいけない。
 否、憧れにとどめてはならない。
 彼は、あの背中は、超えるべき目標だ。
 越えなくてはならない、手ごわいライバルなのだ。

この背に、今あの人が背負っている数字を継ぎ、負うならば。
並大抵の努力では適わない、叶わないことぐらい、とうの昔に気付いている。

「…そろそろ上がろう、ゾノ。これ以上やると体の負担になるだけだ」
「じゃあ一緒に風呂入ろうよ。そんで福田内閣について熱く語ろうぜ」
なんだ、それ。現社の宿題で明日までに提出しなくちゃいけないんだ。ひとりでやれよ。できるわけないだろ!俺顔すらわかんねーもん!
「俺、荷物とって来るわ」

「あ、ゾノ」
Tシャツを掴み、引き止めた手で鈍く光るのは、照明を反射しているマニキュアだろう。綺麗に手入れされた、投手らしい爪だ。何や?と視線を返す。そこには川上が、白州が笑っていた。
「頼りにするからな」
「俺も」
人は時として、誰かに支えられている時よりも、誰かを支えている時の方が頑張れるものだから。

「アホゥ、お前らの面倒なんか見とれんわ」
精一杯の毒気を込めても、照れたような口調にしかならないのが恨めしい。本当は嬉しくて仕方がないから、自然とそういう風になってしまうのは、仕方がない事だとわかっていても。
「先に行ってるからな、早く来いよ」  
今と未来と、二つの意味で。
「おう」



普段は気にもしない小さな段差で躓いたのは、視界が歪んでいたせいだ。一瞬傾いだ体と赤くなった目元に気付いていても、黙っていてくれる存在がありがたかった。






Friends, you are our hopes to get groly






END .








可愛いのはルーキーズだけじゃない!との意気込みで作ったはずなのですが…あれ?
一軍だろうが二軍だろうが、そんなの関係ねぇ!(笑)とばかりに仲良く日常を過ごす二年生達を感じ取っていただければ幸いです。
(時事ネタは後が恥ずかしいというのに使ってしまった私…)
この話を書くにあたって、普段いかに自分が短文書きなのかを思い知らされました。



071007 再録071027