高校に入って初めての夏に抱いた、いや気付いた思い。
普通ならパニックにでも陥りそうなその状況をどうにか受け入れることができたのは、意外なほど身近に同じ気持ちを持っている人達がいたからだと思う。
そして思い切って相談した友達から向けられた暖かな笑顔。
「変じゃないよ、おかしくもないよ。栄純君が好きになるの、わかるよ」
秘密を共有するように、打ち明けてくれた心。とても優しくて、温かかった。
長く暑い夏が、ようやく終わりを迎えた頃。
抱いた想いの重さに潰れそうになった心。
どうにかしたくて、救ってやりたくて、受け入れてほしくて。初めての告白だった。
「先輩が好きです」
言葉もなく抱きしめられた、その行為の意味も先輩の心もわかるわけもなく。
もしかしたらと、淡い期待がこの胸の中に生まれた。
「・・・すまない、沢村」
あまりに多く、その言葉を伝えていたから。
真意が伝わらなかったんだって。
なんだソレ。
こんなに間抜けな話なんかない。
こんなに馬鹿な奴なんか、俺以外いない。
俺はそのときの俺ができる精一杯の笑顔で先輩に笑いかけて、背を向けた。
涙が零れる前に、と部屋へ駆け込んだ俺を待っていたのは、止まらない涙と同室の一つ上の先輩の問いかけだった。
・・・あの時ほど、倉持先輩が優しかったことはなかったと思う。
泣き疲れて寝るまでその日一日中、発作みたいに突然泣き出す俺をうるさがることもウザがることもしないで、ただ黙って肩を抱いていてくれた。
だけどやっぱりまだ苦しくて、それからしばらく夜はこっそり1人で泣いた。
何度も泣きながら、夜を過ごした。
秋は、進路を決める時期は忙しくて。
ずっとすれ違っていた。
ずっとすれ違ったままでいられた。面と向き合う時間がなかったのは、ただただ嬉しかった。
自分が負った傷を直視しないでいられるから。
先輩に傷つけられたのか、自分で傷つけたのかは分からない、傷を。
そんな時だった。
先輩と同じポジションの、今バッテリーを組んでいる相手から話があると声をかけられたのは。
この時俺は、なぜだか背筋が寒くなった。
ゾクリと、感じた何かの正体が分からないまま、呼び出された場所に足を運ぶ。呼び出された場所には既に、人影があって。
俺を見ると「好きだ」と口にした。
「お前がクリス先輩を好きだったのは知ってるよ」
「・・・・・・っ!」
知らないと思っていた、知られてるはずがないと思ってた。
だってあの想いを口にしたのは、たった3回だけだから。
「わかってて、好きになったんだ」
頷いて。
両腕の中に招き入れた存在が、自分を抱き締めてくれる存在が、これほどまでに暖かいのだということを、初めて知った。
俺は、この人と幸せになれると、そう思った。
「御幸」
「何だよ、今更止めに来たのか?」
今ならそんなことも言える。自分が幸せだと、周りにだって優しくしてやれるってのは本当らしい。
「そんな無駄なことはしねぇよ」
半ば呆れ顔の倉持の、それでもその目だけは真剣だった。
「何?」
「絶対、沢村を裏切るなよ」
何だ、と思った。そんなことかと。その覚悟がなければ、俺はずっと口を閉ざしていただろう。
「わかってるよ」
二つ返事で頷いた俺に、倉持はあくまでも真剣な顔で続けた。
「アイツは一度裏切られてる。二度目はないぞ」
俺よりも、アイツのことを理解しているような口ぶりにすこしだけ気分を害されたけれど、もう一度わかったと頷いた。
それから。
俺は御幸と時間を過ごすことが多くなった。
「栄、好きだよ」
「うん。・・・俺も」
言わなければ、続くと思っていた。
同じ過ちを繰り返すまいと。
口にすれば色褪せていくというのなら、ただ黙って思っていればいいと、信じていた。
時々御幸が何か言いたそうな顔をしていたようにも見えたけど、「何?」って訊けばいつもなんでもないと笑って返されるから、そのうち訊かなくなっていた。
そのうちに御幸も「好き」と言わなくなって。
俺は、ようやくこの思いが本当に受け入れられた気がしてただ嬉しかった。
その嬉しさに浸っていたある夜のことだった。
「御幸…?」
小さく呟いただけのこの声さえ響く、静かな時間。
既に夜遅いこの時間、どこに行くのだろうか。
好奇心と、もしかしたら二人きりの時間を持てるかもしれないという期待から、おれはそっと後を追った。
御幸の向かう先には、もうひとつの影があった。
自分ではない誰かとキスを交わし、そして慈しむようなその姿に。
あぁ、この人も俺を捨てるのかと、そう思った。
あの人のときに感じた、身を切られるような痛みは湧かず、ただ自分の感じた事実だけが心の中に入り込んだ。
何か大きな物音を立てたわけではなかった、言葉だって口が動かないんだから出しようがない。
だけど、御幸はこっちを向いた。
「沢村!」
気付かれた、と思う。慌てて踵を返したけれど、きっと間に合ってないから。
だけど掴まえられるわけにはいかなかった。だって今顔を合わせて何喋っていいかなんかわからない。
もう一度だけ聞こえた、自分を呼ぶ声を無視して、俺は部屋へと駆け込んだ。
・・・どこかで見た光景が、俺を迎えた。
「・・・沢村?」
先輩を見上げる俺は、どれだけ酷い顔をしていたんだろう。
痛々しいものを見るような目つきで俺を見、そして一回だけ舌打ちをした。
「何した、何された。全部話せ」
グシャグシャと髪を乱すほどの荒い手つきで頭を撫でられて、その荒さとは裏腹の優しい手つきで背中を撫でられて。
もう、堪え切れなかった。
好きだと、自分の心を全て明け渡した人にも。
この人ならと、その手が触れることを受け入れた人にも。
自分は捨てられたんだ。
頭の中でグチャグチャになりそうな思考を整理して、行き着いたその答え。
受け入れていくうちに、時間差のように悲しみがきた。
その夜。
沢村は泣き疲れて眠るまで、枕を濡らし続けた。
翌朝、まだ夜と朝の境目にあるような薄暗い時間に5号室を訪ねる御幸の姿があった。
「栄純っ!栄純っ!」
聞いてほしかった。
昨夜の自分の行動は咎められても仕方の無い行為だとわかっていても、どうしてそこまでに自分が至ったか。今まで何を思っていたか、そしてお前に、この関係に何を望んでいるか。
他愛も無い話ばかりに逃げていたのを認めるから、核心に触れるのが怖くて脅えていたのも隠さないから。
どうか自分の話を聞いてほしい。
お前に、一度も「好き」と言われたことのない俺の話を。
こぶしを叩きつけるかのように、叩いていたドアが開く。中から顔を覗かせたのは、倉持だった。静かに哀れむようなその視線をあえて無視して、中へ入る。
「栄純、ごめん」
突然の闖入者に驚きながらまだ頭が起きていない表情をしている沢村に駆け寄る。
「昨日のことは本当に悪いと思ってる」
「…昨日のこと?」
おそらく泣きはらしたのだろう、赤い目元に加え。
ゆるく傾げたその表情が、余計に罪悪感を煽る。
「不安だったんだ」
「不安?誰が?」
「俺が。お前はホントは俺のこと好きじゃないんじゃないかと…」
「好き?俺が御幸を?」
「何ソレ?何の冗談だよ?」
信じられないものを見るように、目を大きく見開いた御幸の脳裡に1つの忠告が甦る。
それは奇しくも、今部屋の隅で二人を見守っている倉持から送られたものであり、そして今その彼が心の中で呟いている言葉だった。
栄純、お前は。
その問いかけにも滲む残酷なまでの無邪気さで、俺を殺すのか。
「御幸?」
何もわからぬまま問いかけを繰り返す沢村の前で、崩れ落ち膝をつく御幸の姿を見つめ、倉持は小さくもう一度呟く。
「―――2度目はないと、言ったはずだ」
END .
タイトルを先に思いついた話でした。
正確に言えばちょっと違うらしいけど気にしない。というか気にしないで下さい、どうか、どうか!(錯乱)
しかしこれ、沢村さんの「抗体」がもっちのような気もしてきたな。。。
080826収録 080220メモ掲載