「栄純〜!栄純〜!!」
「まったく、もう少し大人しくしてられないのか…」
2人の少年が30分近く王宮内を歩き回って探しているのは、友人のような弟みたいと言った方が近いような主君、沢村栄純だった。
「クリス〜!一也〜!」
声がした方を振り返れば、3メートル近い城壁の上に少年の姿が。
「栄純!」
「早く降りて来い!!」
その高さから落ちでもしたら、と心配する2人をよそに、栄純は何やらロープのようなものを引っ張っている。
その先には、栄純では腕が回りきらないほどの大きさの籠。
「ゆっくり降ろすから取ってね〜!」
降りてきたそれを受け止め、再び上を見ると、籠に結わえてあったロープのもう一方の端を、城壁のでっぱりにひっかけ、壁を伝って降りてくるところだった。
「栄純、お前外に行って来たのか?」
「うん!クリス、今日お誕生日でしょ?だからプレゼント!」
差し出された籠いっぱいには色とりどりの花。
「お誕生日おめでとう!!」
「あ、俺もちゃんとプレゼント用意してありますよ!!」
弾けんばかりの笑顔が3つ、宮中に並んだのは、滝川・クリス・優11歳、御幸一也10歳、沢村栄純9歳の時だった。
それから6年。
第3皇子である栄純と、国内でも一、二を争う有力諸候・御幸家の嫡子・一也との婚約が囁かれるようになった頃のこと。
御幸家を含む九大諸候のうちの一つ、滝川家の息女と遥か西方より訪れた異国の使者との間に生まれた滝川・クリス・優は、朝の寝所で1人の招かれざる客と対面していた。
「皇子…、臣下の居室に足を軽々しく踏み入れてはなりませんと何度も申し上げたでしょう」
「クリスは臣下じゃないもん」
「人聞きの悪いことを仰らないで下さい。私は皇子にお仕えする忠実な臣下でございます」
「昔は『栄純』って呼んでくれたのに…」
「私が12の時まではそうしてもよいと皇帝陛下からお許しをいただいておりましたので」
「“お許し”がなかったら小さいときも“皇子”って呼んだ?」
「勿論です。さぁ、着替えをいたしますのでご退出くださいませ」
「クリス。俺、クリスが好き」
まっすぐにあなたを見つめて告げるのは、これが初めてじゃない。
「…臣下にはこれ以上ない栄誉にございます」
深々と頭を下げるのは、その視線から逃れるためだと。いい加減あなたも気づくだろうか。
頭を下げたまま、主がここを立ち去る足音を聞く。知らず、溜め息をついていた。
いつから、こんな風になってしまったのだろう。
すくなくとも誕生の祝いにと籠いっぱいの花をもらったあの時には、今みたいな状態じゃなかったはずだ。
自分はあの2人に仕え、国のため2人のためにこの身を捧げるつもりだったのに。
どこで歯車が狂ってしまったのか―――。
栄純はなぜか御幸ではなく自分を慕っていると言い出し、御幸もまたそれを止めることなく静観し。
あぁ、でもそんなものは一時の感情に過ぎず、御幸だって心から栄純を大切にしているのだから、あの2人が愛し合うのにそう時間はかからないだろう。
問題は、この身の内に巣くってしまった感情だ。
なぜ、忠誠を捧げるべき相手に恋情を抱いてしまったのか。
朝議で顔を合わせる時でさえ、その手を取りたいと思わずにはいられないのに。こうして寝所に姿を現されたら、何をしてしまうかわからない。
早く誰かと幸せになってほしいと思いつつ、それでも思うことはやめられなかった。
そののちわずか数刻後、朝廷に桐生からの使者が訪れた。
ここ、青道から東へ1つ国を挟み、海に面した桐生とは、青道内に源流を持つ藍河を使った交流が盛んであった。
使者として訪れた男の名は舘といい、桐生では若くも重鎮の立場にあり、皇帝・鉄心自らが丁重にもてなす厚遇ぶりだった。
2週間の滞在で、皇族である栄純と館が親交を深めたのも、その厚遇から出た産物であった。
そしてこれがその後、両国に多大なる影響を与えることになるとは、このときはまだ誰も知る由がなかったのである。
それから数ヵ月後、朝廷に急使が飛び込んだ。『西の国境、タールシュワットにて乱あり』と。
後世の歴史書に「タールシュワットの乱」として記されるその内乱は、西の少数民族が独立を求めて起こしたものだった。
「クリス、行ってくれるか」
「必ずや平定いたして見せます」
ザイ族と呼ばれる彼らは、青道の絶対多数民族であり支配民族でもある青族よりも、クリスの父の故郷の民族と近い民族であり、使用する言語も違うため、クリスが選ばれたのである。
「出立は明日だ、早急に支度せよ」
「御意」
皇族の並ぶ左側には、目を向けられなかった。
「クリス!!」
来るだろう、とは予想していた。
部屋へ返すための言葉も態度も覚悟も準備していた。けれど、その涙を見ては何も言えなかった。
「皇子…」
「クリス!」
お部屋へお戻りくださいと背中へまわすはずの手も、これが私の務めですと言い切るはずの口も、何も動かず、ただ縋るように抱きついてきたその身体を受け止めた。
「クリス…」
しばしの沈黙と逡巡の後。
抱きしめ返したいという本能に、理性が打ち勝つ。
「明日は早うございます。どうぞ御寝所にお戻りください」
「クリス、お願いだから本当のことを教えてくれ。俺のこと好き?一瞬でもいいから好きだって思ったことあった?」
「勿論です」
その場に跪き、頭を垂れる。
「初めてお会いしたときから今まで、変わらぬ忠誠を」
望んだ答えではないと知りつつ、偽りを。
「それが、答え?」
「はい」
「・・・わかった」
いつものように頭を下げたまま見送った足音が、彼の最期の名残だった。
翌日より、クリスを含む鎮圧軍はザイ族の乱を平定すべく、西の国境へ向かった。
同時刻、一頭の早馬が東へ向かったことは誰も気づかないまま。
都を出て2ヶ月、早くも乱は鎮静しつつあった。ザイ族の長・財前とは幾度かの話し合いが持たれ、平和的な解決に至ることが予期されていた。
そんな折、都から1つの噂が聞こえてきた。第3皇子・栄純の婚姻である。
兵士の中には、自分たちが戦っている最中に…と不満を表す人間もいたが、多くは皇族にしてはあまりに急な婚姻に驚きつつ、愛すべき皇子の幸せを心から願った。
そしてタールシュワットの乱はそれより一月も経たぬうちに平定されたのである。
クリスたち鎮圧軍が都に戻ってきた時、出迎えたのは御幸だった。
16になった彼は今、新婚のはずだったが、その顔はどこか浮かない。
そして宮中には、海を持たない青道にしてはあまりにも不自然なほどの海産物と珊瑚、真珠、そして絹織物や宝玉などが置かれていた。
「御幸、これらは一体・・・?」
「結納品ですよ」
「結納・・・?」
「あまりにも急だったので取り急ぎこれを、と舘殿が置いてゆかれました。あと2,3年は届くことでしょう」
「舘殿が?何故…」
「栄純が、桐生皇帝、松本様に輿入れしました」
「松本、様に…?」
「わが国は、河はあっても海のないせいで交易が弱い国です。海を持つ桐生と縁戚関係を持つことでこの国の公益に活路を見出したかったのでしょう」
「皇帝の命でか?」
「いえ、栄純が早駆けにのり、ひとりで決めてきました」
「松本様は御歳49のはず…!栄純はまだ15だろう…!」
父親ほどに歳の離れた男の下へ嫁いだのか―――!
「誰が止めても聞きませんでした。松本様も栄純をいたく気に入った様子で、一月ほど前に婚礼の儀が」
これは何の罰だ
「俺はアンタが栄純を幸せにしてくれると思ってましたよ」
背を向ける、御幸。
誰が下した、天か、帝か。
お前か、栄純―――
青道暦729年。
時の皇帝・鉄心が第4子、第3皇子・栄純は桐生国皇帝・松本帝の下へ嫁いだ。
3年前に最愛の后をなくしていた松本は、親子ほどに歳の離れた栄純を寵愛し、栄純もまた父親ほどに歳の離れた松本を慕った。
2人は政変により起こった史安の乱にて、栄純が37歳で命を落とすまで片時も離れることなく仲睦まじく暮らしたという。
END
唐突に殴り書き。
ダイヤで書く必要があったかといわれたら、全くないと胸を張って答えられる。