もうすぐ1年前になる初夏。
一軍の正捕手だったクリスが怪我をした。
それはとても痛ましい事で同情すべき事だったけれど、すぐそこには夏の大会が控えていて。
戦線離脱した彼を置き去りにするように、俺達は前へ進んだ。
クリスの抜けた穴には、当然1軍の控えの3年生捕手が入ると思われていた。
けれど実際に背番号「2」を着けたのは、天才と騒がれ入学してきた1年後輩の男だった。
発表の時、その3年の先輩が陰でひっそりと泣いていたのを俺は知ってた。
その先輩は、宮ちゃんが慕っていた先輩だから。




「みーやちゃんvv」
「気色の悪い方呼び方するな」
「愛情込めて呼んであげたのに。俺と宮ちゃんの仲じゃないvv ねぇ、宮ちゃん。宮ちゃんは泣かなかったね」
「いつのことだ?」
唐突に話を振っても何も言わないのは受け入れられているからか、諦められているからか。
「クリスが怪我した時、っていうよりも御幸がレギュラーになった時?」
2軍の正捕手だった彼にも、全く資格がないというワケではなかっただろう。
「・・・俺はあの人がマスクをかぶると思ってたからな。それより先輩のほうがショックだっただろう。」
今までの2年間が崩れていくその音は、どんなにか残酷に響いただろう。
「宮ちゃんは優しいね」
今、自分の耳にもゆっくりとその響きが聞こえ始めているだろうに。
「優しいのか?」
「優しいよ、俺と比べたら神様みたいかもね」
「神様って・・・。亮介、お前何考えたんだよ」
「ねぇ、宮ちゃん」
「何だ」
「クリスの怪我がわかった時にさ、ラッキーってちょっとでも思った?」
「亮介」
「いいじゃん。誰にも言わないからさ、教えてよ」
「・・・・・・思ったかもしれない。分かった直後は驚いて、チームはどうなるんだと心配していたが、やっぱりどこか喜んでいたんだろうな」

あまりにも切ない、罪の告白。

「もっとも、御幸にマスクを取られたことの方がショックだったけどな。・・・まさか亮介」
「うん、俺も思ったよ。何度も、何度も。」
「亮介・・・」
「どうしてだろうね。昔は春市の上達は春市以上に俺にとって嬉しいことだったのに。どこで俺はこんな嫌な奴になっちゃったんだろうね。」








「亮介!お前の弟スゲーな!!」
「誰の弟だと思ってるの?当然じゃん」
余裕を笑みにして言葉を返す。
それは自分をも騙せる完璧な演技。
春市が褒められることは、俺にとっても嬉しかったはずなのに、誰より自分が怯えてる。





「・・・亮介」
抱きしめられた、腕の中。
「あまり自分を卑下するな。お前がそこまで言うなら俺はどうなる」
毎日反省文か? とあまりにも真面目に言うから笑ってしまった。
「2日おきくらいかもね。・・・宮ちゃん」
「何だ?」
「汗くさい」
「自分だって人のこと言えないだろうが」
「宮ちゃんよりはくさくないよ」
「一軍でマスクをかぶるための汗だ、ガマンしてくれ」
思わず頷いていた。
クリスが嫌いなわけじゃない、御幸が憎いわけでもない。
弱肉強食も下克上も大歓迎だ。
自分もその中で生きてきたのだから。
でも。
でも、わかっていても。
彼がマスクをかぶった試合で共に戦いたいと思うこの気持ちはなんなのか。


あぁ、でもそんなことよりも。
このお人好しの仲間は気付いているだろうか。
君にこの話をしたのは、君がこうしてくれるのをわかっていて、君が俺を救ってくれると知っていての行動なのだと。
優しい君の中で想うのは、血をわけた最愛の存在。




愛しているよ、春市。
お前は本当に優しい子に育った。
輝かしい才能にもおごらず、真面目に。
こんな兄でも慕ってくれるほどに。

せめてもう少し「兄」でいられるようにと、傷つけてしまった。
お前を愛しているのに、愛したいはずなのに、今はもう傷つけることしかできない俺にはこの先の幸せなど許されていないかもしれない。
それでも、それでも俺は幸せだと笑おう。



小学生になった俺と別れるのが嫌で、服の裾を握り締めながら泣いていた春市。
明日からもう一度一緒に通えると興奮して、入学式の前夜なかなか眠れなかった弟。
野球を始めた俺の後をずっと追ってきた俺の弟。
今、俺を越えていこうとする、最愛の弟。
大事で、大切で、愛おしい存在。
君をずっと、愛していた。









春市、俺の弟として生まれてきてくれてありがとう。
俺が兄貴でゴメンね。







END,



大切な弟の兄として完璧でいたかった亮介の話。
主観と事実は時として相反するとだけ言っておこう。
BGM:浜/崎/あ/ゆ/み 【Happy Ending】