最後の、夜が来た。
明日の式が終われば、もうこの寮から出て行くことになる。
楽しいばかりではなかった。
絶望した日もあった、全てを投げ出したい日もあった。
けれど、仲間との日々はそれ以上に素晴らしいものだった。
この高校に来てよかったと、心から本当に思う。
・・・1つだけ、心残りはあるけれど。
いつものように食堂での勉強を終え、月を見上げてふと思った。
自分も感慨に浸るようになったのかと自嘲し、部屋に戻ろうとした時。
微かに、それは聞こえた。
「・・・っく、・・・っ・・・ぱいっ・・・!」
そっと覗いてみると、そこにいたのは。
「クリス・・・っ、せん、ぱい・・・っ!!」
「・・・沢村。」
流れる涙を拭おうともせず、座り込んでいる沢村だった。
「せんぱ・・・っ」
大きく見開いた目から零れた涙。
頬を伝って地面に届くよりも早く、沢村を抱きしめていた。
・・・届いてはいけないと、あれほど誓ったのに。
明日を境に、あの人は遠くに行ってしまうのだと。
当たり前の事実を思ったら、涙が止まらなくなった。
自販横のベンチ。
膝を抱えて、座り込んだ。
呼ばれた名前は、あの人の声。
大きな手で涙を拭われて、温かな胸に抱き寄せられて。
なんにも入り込めないくらい、強く強く抱きしめられて。
自ら拒んだくせに、歓喜が体中を包む。
今、自分がどれだけ望んでも叶わなかった願望の中にいることに気が付いた。
そして自分も、歓喜の衝動のままに。
いつまでも憧れ続けた、広い背中に手を伸ばす。
強く抱きしめようとして気付いた、右の肩。
緩めようとした俺を、先輩は更に強く抱きしめた。
「いい。」
「でも・・・っ」
「いいから。」
両手で抱きしめた背中は、温かかった。
「今ぐらい、そんなの忘れていいから」
その優しさに、今まで誰にも閉ざしてきた感情が融解する。
口から滑り落ちたのは、夢の中だけで何度も伝えた言葉。
「せんぱい・・・、おれ・・・」
「好きだ。」
「・・・おれも・・・だい、すき・・・っ!」
そっと頬に添えられた手に、顔を上げれば。
あまりにも優しすぎる笑みがあって、ゆっくりと目を閉じた。
初めてのキスは、涙の味がした。
それはきっと、これが最後のキスになるからだろう。
その夜、頼み込んで二人っきりにしてもらった部屋の中。
一晩中、先輩の左手と俺の右手は、繋がったままだった。
夜が明けたら、先輩は行ってしまう。
自分はこれからも、野球ばかりの毎日を送るだろう。
そしていつかは、自分もここを巣立つのだ。
きっとやがては誰も、先輩を自分と知るものがいなくなる日も来る。
それでもいいと、思った。
一晩だけ咲く、美しい花のように。
明日になれば散ってしまうと、わかっていても。
そこにあったことを、2人が覚えているなら。
END.
某所へお嫁にいった連作の完結編。UPするにあたりちょっと改訂。
タイトルは月下美人の英訳。
070111